一期一会 次会えるとは限らないことをなぜ覚えていられないのか
こんなに別れが日常的な仕事
ケアマネジャーが出会うのは、何か疾患があったり
障がいがあったりする方、当然です。
毎月、毎月、お話ししているうちに、
それが当たり前になって。
「また来月に」なんて会話を終わらせてしまう。
ただ、これだけケアマネの仕事をしていると、
その「また来月に」が、当然ではないことも、
よくよくわかってくる。
一抹の、
「来月変わりなく会えるのか」
という思いが混じりながら、毎月あいさつを。
死と出会う回数は、それは医師や看護師の方とは比べ物にならないですが、
毎月会って、話をして、ということを長年していくと、
なかなかその別れが来たとしても、
それはなれることができません。
予防しても、致死率は確かにみんな100%なので、
いつまでも永らえることはできないのだけど、
それでも、その時、何かやり残した、
自分ではなしえなかった、という思いはずっと残ります。
今日も、またそんなことがあり。
あの時、次の訪問のために全部の話が聞けなかったな、
とかもっと聞いておかなければいけないことがあったのでは、
と、どんな時も思います。
後悔しないこと、は、なかなかできません。
これが続くと、メンタルが弱くなったりして、またそれはいけないのですが、
全く動揺しないようになるということも、なんだか違う気がして。
これからも訪れるであろうときにも、やはり
一期一会、の気持ちは、より強く思っていかなければと感じる
今日でした。