そう遠くない介護 ~現役ケアマネの自分の介護にのぞむあれこれ~

高齢化する両親、そう遠くない介護の予感。現役ケアマネとして、今まで担当していてしておけばよかった、と思うこと、今からできること、実践の様子、介護について。

高齢時の格差 サービス利用が届かない時とは

後期高齢時の格差とは

 

格差社会、と言われて久し。

若年と高齢の格差、

正規、非正規の格差。

 

高齢になってからの格差とは、では何か。

介護サービスが届かない時として考える。

 

おそらく数百人の方の後期高齢時などに、

ずかずか家族構成や、時には金銭面、自宅のトイレやお風呂まで

見させていただくこの特異な仕事。

 

様々な人間模様があり。

 

その中で、やはり資本は、

人的(本人)、金融(収入、貯金)、社会(人とのつながり)

に集約される。

 

このバランスが整わないと、

必要な介護サービスが受けられず、

必要な支援が届かず、

ケアマネが奔走して何とか別制度で補えないか、となる。

 

介護保険を申請して認定を受ける、ということは、人的資本が

少なくなっている、ということになり、

金融で介護サービスを利用したり、

社会で人から介護を受けたり、

ということになる。

 

核家族化で介護保険サービスの利用が増える、というのも、

社会資本がなく、すべて金融によって届く

介護保険サービスに集中する、ということである。

 

前提としては、すべての必要な人にこのサービスが届くはずなのだが、

そうはなっていない。

 

イメージの、金融資本がなく、社会資本がない、が

格差の最たるもの、と思われがちだが、

そうばかりではない。

 

生活保護であったり、様々な支援。それすら使いにくい現状。

 

支援がまた届きづらいのは、

いままで頑張って働いてきて、そこそこの年金があり、

節約して節約してぎりぎりの貯蓄があり、

同居している家族はいるが、全く介護にかかわりはない(仕事が忙しいなど)

 

の方々。

どの制度を使おうにも、一歩、支援に届かない。

 

こういうときが、必要なのに必要なサービスが入れられない

提案しても断られる

となる。

 

さらに、入所系は、特に社会資本、若年の後見人、を強く言う。

高齢の兄、姉、ではなく、一番は子、いなければ姪、甥。

 

何かあった時、のための対応できる人を、より求められる状況に

なってきていると感じる。

 

一番の格差が出るのは、そのため社会資本が前面に出るときだが、

これはほかの原因のための結果ともいえる。

 

これから負担割合が増えていき、独居の方が増え、となると、ますます

サービス利用が届かなくなる。

 

金融、社会資本が豊かであるほど、サービス利用がしやすくなる、という現実。

 

インフォーマルサービスをケアプランに、と言われて久しいが、

・・・どこにあるのか、そのインフォーマルサービス。

ケアマネが足りないインフォーマルサービスを探すのだ、とも言われて久しい。

追いつかない。